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日本人神道人

●敬神尊皇崇祖
●神道と宗教

●上御一人の祈り
●靖国神社のこと 1 
●伊勢の神宮・神宮大麻
●伊勢の神宮・天孫降臨

 
●敬神・尊皇・崇祖
 敬神・尊皇・崇祖の三本の柱 を大切に安定と繁栄の道を歩みましょう

戦後、宗教情操教育がほとんどなされなくなったこと、社会・家庭・学校での教育力の低下、物質的な豊かさと感謝の念の稀薄化、占領軍の悪影響が未だ根強い戦後教育、それに核家族化等により、日本人が歩んできた、神様や先祖様と共に歩む敬神生活が軽視されてきて、おかしな宗教や宗教まがいのものに触れて、人生を誤る人が多く見受けられます。
もしそうなれば、ひとり本人だけでなく、家族全員にその影響が広がりますので、未然に防ぐ意味でも、御家族での神社参拝や神棚拝礼をお奨め致します。
 敬神生活に接していますと、変な宗教の勧誘があっても、父祖のやっているのと違うという判断ができます。 お子さんやお孫さんの代に変なことにならないためにも、高貴な神々を祀る神社詣でと神棚を拝礼する生活を実践なさり、子孫繁栄子孫安泰の道を歩んでまいりましょう。

敬神 けいしん

神々と共にある生活で神様から戴いた霊魂を清め高めてまいりましょう
拝礼の実践でより神々のみたまのふゆ(御利益)が頂けます

尊皇 そんのう

日本の宝であり、世界の宝でもある皇室を尊んでまいりましょう

崇祖 すうそ

ご先祖さまを崇めてまいりましょう

 先祖祭は仏教というように思っている方が多いように見受けますが、仏教を開いたインドのお釈迦さんは先祖祭を説いておりません。
 ご先祖様に手をあわせるのは、日本人の自然な情がそうなさしめているのであり、日本人の道だからであります。
 安土桃山時代、過激なキリスト教が日本に入ってきて、神社や寺院を破壊しました。それでは国が持っていけないということで、豊臣秀吉、徳川幕府はキリスト教を禁止しました。そこで、クリスチャンでない証として、総ての家庭に仏教寺院の葬儀を強制しました。それ以来葬儀と言えば仏式でしたので、現在でも葬式は仏式が多い訳です。

 異国の作法である仏式を強制された江戸時代、それでは潔しとしない神職たちの命がけの運動があり、特例で神道葬祭(通常神葬祭という)が神社奉仕代表者と嫡子にのみ許されましたが、一般の国民が許されるのは、明治維新まで待たなければなりませんでした。

 明治以降葬儀も自由に行えるようになりましたので、霊魂を認めない仏式より、霊魂を認める日本古来からの神道式の方がよいということで、神道でお祀りする家庭も少しずつ増えて来ております。

 仏教と神道の葬儀、以後の霊祭の違いの一つに、名前の取り扱いがあります。
親や祖父母が命名してくれ、永年慣れ親しんだ名前を重んじる神道と、亡くなった方の名前を軽視し、新たに戒名をつけて葬儀をし、以後の法事もするところが大きく違います。(神道ではおくり名で、どなたかがすぐわかります)

 そのような違いは他にも色々ありますが、いかなる形式であれ、先祖祭を重んじるのが日本人の道であり、日本人の務めであり、繁栄の源であります。
 
●神道と宗教
「神社」と「寺」、それに「仏教」という言葉はみんなが知っておりますが、神道
(しんとう)という言葉を知っている人は、前者に比べますと、かなり少ないようであります。
 神道という言葉が出来ましたのは、異国の宗教であります仏教が我が国に入って来ましたときに、仏教と異なる我が国の信仰生活をさして、神道(しんとう)という言葉が出来たのであります。
現在、仏教は日本的にかなりの部分で教えを変え、幕府の方針で江戸時代から全国的に葬式を扱うようになりましたので、それほどの違和感を感じないような情況にありますが、当初はかなり異質の存在でありましたので、仏教を受容するかどうかで、かなりの大きな論争がありました。
 それは、一人の宗教的天才ゴータマ・シッタルダ(お釈迦さん)が説かれた宗教である仏教では、私達が住んでおりますこの世を「穢土」(えど)《汚いところ》と言って、浄土を恋いこがれたり、女性蔑視の思想が強かったり、寂滅という事を以て、楽しみとしたり、空(くう)を説いて霊魂を認めないので、当然先祖祭りの考えなどがない等、重要な部分でかなり日本人の感覚とずれがありますので、受容するかどうかで当時大きな問題となったのであります。今でも、高僧と言われるお坊さんは、妻帯をしておりませんし、結婚をしているお坊さんは高僧と言われないようであります。

 このように、日本人の祖先がだれ始めるとなく行ってきました神祭り、先祖祭りを中心として生活する神道と、一人の特別な人物によって開かれた宗教とは明らかに異なったものがあります。

 宗教の定義は色々な学説があり難しいのでありますが、一般的に宗教の三要素として、教祖、教義、教典の三つが揃っているのが宗教と言われます。 世界三大宗教と言われるのが、仏教、キリスト教、イスラム教であります。

キリスト教とイスラム教は、共に絶対的存在としての「カミ」を戴く宗教で、一神教と言われます。一神教は、唯一絶対の神の存在しか認めませんので、ひとたび一神教同士の戦いとなれば、悲惨な情況になります。それ故、世界を震撼させたこの度の米国での同時多発テロと、それによって起こされたアルカイダとの戦いでは、異なる宗教間の衝突にならないように気を使って戦われていることがよくわかります。

 一神教は、他のカミを否定し、存在をも否定します。安土桃山時代には、一神教のキリスト教徒によって、神社や寺院が破壊されたりしました。そこで、神社や寺がキリスト教徒によって破壊されたりすることはゆゆしき事であると言うことで、キリスト教を禁止する鎖国政策が江戸時代にとられたのであります。
 
 明治を迎え政府は、諸外国と交際する必要上、キリスト教を解禁しました。又、その頃には、キリスト教徒も以前ほどの蛮行を働かなくなってきておりました。

 日本には昔から神様を祀り、先祖に手を合わす自然な信仰形態がありましたので、欧米人が主として信仰するキリスト教は余りにも異質であり、日本に存在しない排他的な信仰形態であるため、そのような信仰形態を「宗教」と呼び、神社や神道とは区別しました。ですから大東亜戦争で敗北するまでは、日本の中に自然発生的に生まれ出た神道は、宗教の中に入れなかったのであります。敗戦により、神社も宗教法人に入らないと神社の存続が出来ないと云うことで、やむなく法律上宗教法人となりました。歴史伝統から考えても、公の平安の祈りを根底におく神社が、個人の安心立命を中心とする諸宗教と同列に扱われることには違和感がありますが、現在はそのように扱われております。
 けれども、日本人がだれ始めるとなく行ってきました神祭りと先祖祭りを中心とする神道は、一人の特定の人物によって開かれた宗教と明らかに異なります。それ故、公の祭りなども、違和感なく多くの日本人に受け入れられて来たのであります。
 この穏やかな、相手の存在をも認め、共存共栄を願う神道こそ、これからの世界平和の基底に不可欠と言われております。自信を持って、父祖が守り伝えたこの道を歩んでいきたいものであります。
 
●上御一人の祈り
 天皇陛下がお祭りをなされる。このことをどれだけの国民が知っているのであろうか。いや、陛下の聖使命は、このお祭りをなされるということ、国家国民の平安を祈られることだということを国民が知らないようだと、日本の光輝の時代の到来はまだ先のことになりそうである。
 天皇陛下の聖使命を記しているのが、『古事記』『日本書紀』や延喜式の祝詞等の古典である。その中で国民に一番なじみがあり、大祓式でも奏上する「大祓詞」がわかりやすいかと想われる。そこには

我が皇御孫命は 豊葦原瑞穂の國を 安國と平らけく しろしめせと 事よさし奉りき

と、このように記載されている。皇御孫命(すめみまのみこと)の、「皇」は、皇祖天照大御神を一字で表した場合の「皇」である。「孫」は、子孫ということである。皇祖天照大御神の子孫であられ、その立場に立つお方、即ち天皇陛下のことを指している。天皇陛下は皇孫であられるので、天皇を称して「天津日継ぎしろしめす」とも言う。これは、天照大御神が日の神とも称えられるので、その日の神の御心も霊統も受け継ぐ方という意味である。豊葦原瑞穂の國とは、豊かな実りをもたらす國、即ち我が国のことである。
 意訳すれば、皇祖天照大御神が天孫降臨に際して、皇御孫命に日本という國が平安であるように努めなさいとお命じになられ、それはその時だけのものではなく、その精神は天孫降臨から今日に至るまで、皇孫の立場にたたれる天皇陛下に連綿と受け継がれなければならないし、それが万古変わる事なき天皇陛下の使命であると、神様に申す祝詞で明示しているのである。
 まさしく、神々の世界が今に受け継がれ来る珍しい國、これが日本という世界に比類ない國であり、神国と称する所以もここにある。

 国民に取っては何と有り難いことだろうか。我々国家国民の幸せを念じてくれておられるお方こそ、天皇陛下であらせられるのである。
 歴代陛下は、皇祖天照大御神の大御心に違わぬように、大御神の大御心に近づくように日常不断のご努力をなされているのである。それ故、高貴にして他のなんびともまねの出来ない陛下の祈りを「上御一人の祈り」(かみごいちにんのいのり)と称す。
 この陛下の祈りがなかりせば、皇祖天照大御神の十全なる御神威を戴くことは出来ない。そうなればほかの神々も十分なるお働きができなくなる。それが神律というものである。「天の岩戸」に大御神がお隠れなされた時に、いかに優れた能力のある神々でも十分なる働きが出来なくて、その前でお神楽をし大御神にお出まし頂いたとの神代の伝えを思い出して頂きたい。
 国民にあっては、神社にて皇室の彌栄をお祈りするようにとの神勅が出されている。国民が世界の平和と皇室国家の安泰、地域家庭の平安を祈り、皇室が世界の平和人類の共存と国民国家の安泰と平安を祈る。これが神様の望み賜う日本の姿である。
 上御一人の祈りを戴く中、世直しの大祓で世の悪しきものが祓われ、心清らに神々に謙虚にぬかずく人が彷彿と出で来たったとき、日本はもっと住みよい明るい國になっていく。
 上御一人の祈りと神々と共にある生活が、おかしくなった國日本の再生には不可欠である。
 
●靖国神社のこと 1
   
全国に神社は八万社以上存在します。その中で、マスコミ等で一番多く取り上げられるのは靖国神社かも知れません。ただその取り上げ方が、日本人ならば当然持っているべき常識や知識を欠いて、靖国神社を否定的に取り上げたりしますので、中国や韓国などの干渉等とも相まって、靖国神社について誤解をしている人も多くなってきているように見受けます。 日々、日本人の道であります敬神尊皇崇祖の生活を歩んでおられるお方でも、今日の嘆かわしい世相やマスコミなどの取り上げ方によって、その悪影響を受けかねないほど、日本人の精神の衰退が進んでいることは、否定のしようがありません。
近年は、首相の靖国神社参拝を批判する中国韓国からの外圧を避けるべく、小泉首相や福田官房長官が、靖国神社に替わる追悼施設を建設しようとしたりするなど、まことに浅ましく嘆かわしい悲しき情況にあります。

靖国神社は、明治維新の際の官軍の慰霊祭が本となり、創建されることになりました。明治二年東京招魂社として創立、明治十二年に靖国神社と呼ばれるようになりました。嘉永六年以降の国事殉難者、王事に身を捧げて斃れた人達が御祭神であります。国難に際し、国家生命を守るため斃られた方々ですので、国家にとっても国民にとっても、大事な大事な神社であります。
 ただ普通の神社とは御祭神からして趣が異なりますので、宮司が軍関係者であったり(戦前)するなど、特殊な神社ではあります。国を安国と守るため犠牲になられた方々が神様ですので、地域共同体にとどまらず、国家国民を護る神社・国家意思を守る神社といえます。日本人なら等しく敬意を表しなければならない神社であり、敬意を表しない人は日本人としての疑問符が付きます。

 靖国神社を首相が参拝し、非命にたおれた祭神(英霊)に手を合わすという、首相として国家として当然のことが、自然になされるか否かが日本再生の鍵を握っております。社稷を保つ上で最も大事な肝心要なことがわからない現状では、日本の衰退は免れないでしょう。戦没者に心素直に敬意と感謝を捧げることは、人間として当然なことであります。それが何故、世界の国の中で日本だけができないのでしょうか。どこの国でもその国の伝統に基づいて、戦没者を祀り敬意を表しております。お国の為とは申せ、最も悲惨な亡くなり方を強いられた方々に、素直に敬意と感謝の誠をあらわし、人でなしの国から脱皮したいものであります。 皇室も国家も国民も靖国神社に等しく特別な思いを捧げてきたという歴史を回想し、それを発展させ、英霊への恩を忘却したり、恩を仇で返すような国民国家にこれ以上堕しないようにつとめたいものであります。

・よと共に語り伝へよ国のため命捧げし人のいさをを  (明治天皇)

・わすれめや戦の庭にたふれしは暮らしささへしをのこなりしを (昭和天皇)
 
 
●伊勢の神宮・神宮大麻
神宮と言えば、お伊勢さん。お伊勢さんと言えば、神宮のことをさすのですが、各地にいろんな神宮という名称の神社があり、且つ大東亜戦争に日本が敗れて占領軍の日本弱体化・骨抜き政策の結果、学校で日本の肝心要の所が教育されなくなりましたので、家庭教育や社会の教化力の低下と相まって、「神宮」ではわからない人が多くなり、伊勢の神宮でも、「伊勢神宮」という名称を多用しなければならなくなりました。
 以前なら、神宮と言えば、三重県の伊勢に鎮座まします「神宮」のことと理解できたのですが、現在はそれでは理解できないので、「伊勢神宮」という呼び方が一般化しております。敬神の念と良識を持つ人が増えて、「神宮」という名称で、伊勢の神宮のことだとわかる世の中になってほしいものだと思っております。

「神宮」ではわからなくても、全国民のほとんどが「伊勢神宮」を知っているという現状は、こんにちの嘆かわしい国情にありましても、一つの大きな光明であり、今後に希望をつなげる一端でもあります。

 全国の神社を代表する存在と言ってもよい神宮は、もっとも高貴なお社であります。その歴史は、年配の方はよくご承知のように、神典と称されます『古事記』『日本書紀』等の神々の巻に伝えられております。
 天孫降臨がなり、三種の神器が天上からこの地上にもたらされ、それぞれにお祀りされ今日に至っております。三種の神器の「御鏡」は、伊勢の神宮のご神体として奉祀されております。「御劔」は名古屋の熱田神宮にお祀りされております。もう一つの「曲玉」は、皇居に奉安されております。

 伊勢の神宮には、式年遷宮という制度があります。二十年に一度、社殿から宝物まで全て新しく造り替える制度で、これによって一千年以上も前の昔の形が現在に伝承されているわけであります。この制度によって、永遠に更新され、生き続ける伊勢の神宮こそは、日本の宝、世界の宝と言われております。

 年末に各家々の神棚にお祭りする「神宮大麻」は、高貴なることこの上ない天照大御神様の「御璽」であります。この大麻をお祭りすることにより、大御神様との御神縁が結ばれます。
 そして、各地にお祭りされている神社の神々も、各家で神宮大麻を神棚にお祭りされることにより、よりお働きを増して我々に恩頼(御利益)を授けて下さいます。神宮大麻をお祭りせずに、各地の神社の神札等をお祭りするだけですと、神社の神々が十分なるお働きができません。それは、至高至貴の高天の原の君たる天照大御神による、神々のお働きの公認がなされない状態となるからであります。誰でもその立場が公認されないと、充分なる働きが出来ないことからも理解できるのではないでしょうか。

そして又、この神宮大麻の代金は、式年遷宮の経費の一部として毎年積み立てられているのであります。知らず知らずに大御神様に尽くしていることになります。この神宮大麻は、年末年始に各地の神社で受けることが出来ます。

神棚には、各自ゆかりの神社の神札と共に、伊勢の神宮大麻をもお祭りして、より心豊かにより神々の恩頼を戴いて歩んで行きたいものであります。
 
●伊勢の神宮・天孫降臨
伊勢の神宮は、皇大神宮(内宮と呼ばれる)と豊受大神宮(外宮と呼ばれる)を中心とする日本で最も格式ある尊いお宮で、国家国民にとって、最も大事なお宮と言うことができます。天照大御神をお祀りする「内宮」は、皇室の祖神であり、国民の総氏神として仰がれております。豊受大御神をお祀りする「外宮」は、五穀豊穣、衣食住の守り神であります。

・神風の 伊勢の宮居を をがみての 後こそきかめ 朝まつりごと
・神風の 伊勢の宮居の ことをまづ 今年もものの 始にぞきく


明治天皇の御製であります。宮中の一日は、伊勢の神宮の天照大御神さまを拝むことから始まります。新しき年の始めにも、まず大御神さまを拝み、ものの始めに神宮のことを聞かれるのが慣わしです。この慣わしの淵源は、神典と称されます『古事記』『日本書紀』の神々の巻にまで遡ります。日本の国柄、皇室の聖使命、淵源が記されている重要な所が、「天孫降臨」の条と言うことができるでしょう。

 天孫がこの地上にご降臨なされるときに、天上において天照大御神が三種の神器のひとつ、神鏡を親しく手渡され、「この鏡は 専ら我が御魂として 吾が前を 拝くがごと いつき奉れ」と仰せになられました。それ以来、歴代の天皇さまは、神鏡を天照大御神さまの御魂として、数千年の歳月、一日も怠りなくお祭りし、親しく厳粛に仕えて来られております。

 天孫降臨に際し、神鏡のみならず三種の神器が天上からこの地上にもたらされ、それぞれにお祀りされ今日に至っております。三種の神器の「御鏡」は、
「同床共殿」の神勅のままに、床を同じくしてお祭り申し上げておりましたが、崇神天皇が御神威が余りに恐れ多いことを実感なされて後、御神鏡は皇居を出られ、伊勢の地に鎮まるとの御神意のまにまに伊勢に御鎮まりになられました。神宮の起源であります。二千年以上も前の出来事であります。

 「御劔」は名古屋の熱田神宮にお祀りされております。「勾玉」は、宮中に奉安されております。「御鏡」と「御劔」が、伊勢・熱田にお祀りされましたので、新たに全く同じように「御鏡」と「御劔」をお造り申し上げました。「御鏡」は、宮中の賢所にお祀り申し上げております。

「御劔」と「勾玉」は、陛下と共にありまして、陛下が御移動なされれば同じように御移動なされるというので、「劔璽御動座」と申します。

 陛下をご守護申し上げますお守りであると同時に、陛下に取りましては、天照大御神様の御心のこもられました「劔璽」が一緒ですので、大御神の御心のまにまに御進退をなさなければならないので、いやが上にも天孫降臨の際の御心境に近づきます。そこに、大御神の皇孫たる陛下の御威光が、多くの人に感銘を与えることになるのだと想われます。もとより、伊勢の宮居を拝み、宮中の祭典を通じて、皇祖神であります天照大御神の御神意を体し、大御神と一体となるべく日常不断のご努力をなされておられるからこそ、一段とそのようになられるのだと想われます。
 
 古典の天孫降臨の条は、我が国の重要な成り立ちを教えてくれております。